過去のお恥ずかしい話、暴露します。
こんにちは!
和歌山市のマンツーマンサロン、髪質改善・縮毛矯正専門 LIP STICK「ツヤ髪師」の近藤です。
ご来店いただくお客さまによく、
「美容師になろうと思ったキッカケは何ですか?」
「なぜ縮毛矯正専門にしようと思ったんですが?」
などのご質問をいただくことが多いので、
今回はあまり言ってこなかったお恥ずかしい過去も含めてお話しさせていただきたいと思います。
美容師になる前、別の仕事をしていました
私は昭和54年10月16日生まれ、箕島高校を卒業後すぐに美容師に…
というわけではなく、ホテルマンになりました。
白浜の会員制ホテルで、結婚式の準備から接客や団体さんの宴会サービスの仕事などをしていました。
ホテルマンって華やかなイメージがあるかもしれませんが、ほんとに大変なんです!!!
私が働いていた部署は、
広い部屋を、朝食会場や夕食バイキング会場、時には結婚式会場などに模様替えをし、(業界用語で「どんでん」といいます)
そのために大きな円卓を転がしクロスをかけ、椅子を設置し、料理を置く台や食器なども用意し、
料理を運び、片付けをするなどの接客も行い、終わったら全て会場をフラットにし、また次の会場の準備をするという仕事でした。
見た目以上に体を使うハードな仕事だったため、
身長172㎝で体重47kgまで激痩せし、頬もこけてガリガリでした。
ホテルマンから美容学校へ
そんな中、通っていた美容室の担当してくれていた男性美容師さんが、
悩んでいた私のヘアスタイルをすごくいい感じにカットしていただき、
「自分もこういう仕事がしたい!」
と決断し、美容師になるため1年働いたホテルマンを退職しました。
美容学校に入学するまでの間少し期間があったので、自宅近くのカラオケボックスでアルバイトをしていたんですが、
暇な時、から揚げやポテトを多めに揚げて食べたり、
バイトが終わったあと先輩と朝まで勝手に歌ったり(今更ですが、店長すみません!)
さらに頑張って稼いだお金を全てパチンコに使ってしまうなど、今考えれば最低な生活をしていましたが、
無事、2年遅れの20歳から和歌山のIBW美容専門学校に入学し、美容人生がスタートしました。
憧れのカリスマ美容師への道
美容学校へは2年間通い、無事に国家資格を取得。
大阪の美容室に就職することができ、憧れていたカリスマ美容師の道へ一歩前進。
(その頃、美容師役のキムタクのドラマが大ヒットし、自分もキムタクのようになりたいと思っていました!笑)
しかし、大阪の美容室は甘くはありませんでした。
朝8時に出勤。1人でシャンプー台などの掃除をし、お店で朝ご飯を食べている頃、先輩方が出勤。
朝礼後、美容師の仕事をスタートする訳ではなく、
まず先輩方のお昼ご飯を買いに行くのが下っ端の仕事だったんです。
1人1人お昼ご飯に何を買ってくればいいか聞いて買いに行くんですけれども、
「コンビニで○○買ってきて」
「551の肉団子買ってきて」
であったり、1ℓのジュースやお茶をたくさん買った時はほんとに重く、
「自分がしたいことはこういうことじゃない」
と常に思いながらも、仕方なく毎日行っていました。
中には、
「レンタルビデオ返してきて」
「銀行で3万おろしてきて」
と、キャッシュカードと暗証番号が書かれた紙を渡してきた先輩も居ました。
週一くらいあったので「今回いくらすか?」みたいにな感じで、暗証番号を覚えてしまいましたが。笑
そんなこんなで、朝8時~22時まで仕事をし、
そこからレッスンをして終電にダッシュで乗り込む毎日にここでも耐えきれず、
たった4ヶ月で退職してしまいました。
何をしても続かないダメダメな私でしたが、
地元に戻ってきてもう一度美容室に就職し、そこで店長を経験させていただき、
5年後の27歳で念願の独立をすることができました。
念願の自分のサロンをオープンだったが・・・
オープン当初は、以前担当させていただいていたお客さまがたくさん来ていただいたおかげもあり、すぐに繁盛店になりました。
そして3年後、隣の店舗が空いたタイミングで倍の広さに拡張。
1名だったスタッフが4名まで増加し、その頃は、
「オレってすごいかも」
と、ほんとに調子に乗っていたと思います。
そんな良いことが続くこともなくお客さまはどんどん減少。
そしてある時期に大事件が起きました。
あるスタッフから
「店長、今日お話が・・・」
辞めたいとのこと。
1人退職するだけでも寂しいし辛いのに、別のスタッフからも辞めたいと言われました。
さらに別のスタッフからも・・・
そして、最後のスタッフも辞めたいと言われ、
5年、3年、2年、1年と働いてくれていた4名のスタッフがたった6ヶ月の間で全員退職してしまったのです。
ほんとに辛く、人として経営者として情けなく毎日帰って泣いていました。
今まで生きてきて一番悩みましたが、そんな状況でもご来店いただくお客さまに、
「大変だと思いますけど、お店続けてくださいね」
「お店無くなると困るので頑張って下さい」
など、励ましたお声をたくさんいただき家族、友人にも励まされ、
もう一度1からやり直そうと決意して再出発し、現在に至っています。
こんなに広いお店で1人でしているのは、実はこういった過去があったからなんです。笑
髪質改善・縮毛矯正専門になった理由
スタッフが退職し、1人でやっていこうと決意をしたものの、
全てのお客さまを対応するのは不可能だったため、たくさんのお客さまがサロンに来られなくなりました。
そんな中、Facebookで、
信じられないくらいキレイな縮毛矯正の施術をされている方を知り衝撃を受けました。
「今の自分には全体にできない技術」
「できるようになってクセ毛の方に喜んでいただきたい」
という想いが溢れ、すぐにその方にメッセージを送り、数日後には名古屋まで見学に行っていました。
サロンを休業して泊まりがけで3日間修行させていただいたり、
その後も何度も何度も名古屋まで通い、合計数十時間学ばせていただきました。
おかげさまで今では「髪質改善・縮毛矯正専門」として、時期によりますが約1ヶ月待ち。
他府県からもご来店いただけるようになりました。
出会った全ての方に感謝したいと思います。
縮毛矯正というのは、病院でいう手術のような位置付けだと思っています。
特に初めての方の施術は毎回緊張しますが、
お客さまの悩みを改善し、美容師の技術がなくてもご自宅で、
「乾かしただけ」でキレイなストレートヘアを楽しんでいただくことができるようになりました。
1人での営業ですので多くの方を担当することはできませんが、「美髪」になることで、喜んでいただく笑顔が私にとっての最高の喜びです。